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富士屋本店は、桜丘に再開発はいるとどうなるんだろうか。渋谷の桜丘は僕が上京したとき最初に入ったのが、桜丘を恵比寿方向に進んだ呉学園の日本デザイナー学院(併設は日本写真専門学校)だったので、いまの年(執筆時で40代も終盤)になるまでに30年は昔を知っている土地なのだ。しかし当時は半地下の中華屋で炒飯を食べるばかりで、この渋谷らしからぬ名店は、近年になって結婚前に奥さんに案内されて知った場所だ。ここはもっと若くに知っておきたかった。四角いカウンターに囲まれたお店で、雰囲気としては北千住の天七みたいな感じだが、なにしろここが凄いのはすべてがきびきびと動いていること。

話は昔に戻るが、僕が当時渋谷にいたころのそのデザイン学校はグラフィックデザインの基礎に至るまで1年近くデッサンが続くため、根負けして半年で辞めてしまったが(実際に半年時点で装丁の仕事を受けてみたが印刷指定などは1年目はなんも教えられてないので仕事にならなかった、迷惑かけた印刷会社の荒井さんにはいまも顔をあわせられない)まあデッサンは基礎だからだいじとはいえ、デッサンを習いにきたわけではないのだった。そもそもGデザで必要なのは配色センスくらいで、静物を描写することではない。東デ(東京デザイナー学院=実はグリーンプラザ新宿と同一グループ)出身の人にも聞いていたが、当時、専門学校はどこも初年度はふるいにかけるのが実態ではあったので、東デの場合は、当時は教室以上に学生が来るので最後は入れないという仕組みがとられていた、とその人は言っていた。あのころは専門学校がどこも景気がよかったことから、どこも、最初は耐久レースみたいなものであったのだろう。ただ、ここでもらったレタリングと、銅版画の図版集はよかった、あとで役に立った。

この学校で、宿泊学習につれてかれた八丈島に、あとあと再上陸して、とある衝撃を受けるのだが。
詳細:見切り品と、島でわかった俺の学校のルーツ

などと全く無関係な思い出に脱線したが、富士屋自体は裏側でワインバー的な店舗もやっていて、立ち飲みと対照的だがそちらも、ブログ仲間だった元ライターの人やブロガーと先に訪れている、そちらは渋谷以外にも出店したりと、わりと再開発対策にもなっている感じだが、むしろ立ち飲みのほうを多店舗展開してくれればなあ。